2024年7月4日に新一万円札が発行されました。その肖像画に選ばれたのは近代日本の父と呼ばれる渋沢栄一です。
渋沢栄一子どもの数は100人ということが話題で、さらに最後の子供ができたのは68才のときでした。
そんな体力抜群の渋沢栄一さんめかけの数は何人だったのでしょうかについてまとめます。
渋沢栄一ってどんな人?
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— 日本銀行 (@Bank_of_Japan_j) September 1, 2021
近代日本の呼ばれるくらい多くの会社を作った起業家です。
「王子ホールディングス」「東京海上日動火災保険」「サッポロビール」「JR東日本」などその数500社といわれています。
また、日本初の銀行である第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を作ったのも渋沢栄一です。
すごいエネルギーですね。彼がすごかったのは実業家としての側面だけではありません。
渋沢栄一子どもの数は100人!?
渋沢栄一の子どもの数は100人以上とも言われていますが、具体的にみていきます。
正妻千代との子供は3人
最初の正妻千代との子供は3人
– 長女の歌子
– 次女の琴子
– 長男の篤二
千代とは3人の子宝に恵まれましたが、明治15年に流行したコレラにより千代は亡くなってしまいます。
後妻兼子との間の子供は4人
兼子との間には4人の子供がいました。
– 次男の武之助
– 三男の正雄
– 三女の愛子
– 四男の秀雄
兼子とは一応最後まで添い遂げることになりますが、一応というのは、その間もちろん愛人がいました。
正妻意外に少なくとも7人の子供
あと1週間で新弾やんけ!
トップレア渋沢栄一狙うわ pic.twitter.com/BzeWeTJo6Q— かずと (@kazuto__pcg) June 27, 2024
女好きで知られ、正妻以外にも3男4女以上、子が生まれた(プレジデント引用)
わかっているだけで、正妻とめかけの子供で併せて14人の子供がいたことがわかっています。
ですが、実際に子どもの数は20人とも50人とも100人とも言われています。
実際にプレイボーイだったことは確かだったようですが、お金のある人ですから、財産目的で、渋沢栄一の子どもと偽った人もいたことでしょう。
めかけの数は?
妾の数はわかっているだけで3人。
・大内くに:千代生前からの妾で、妻妾同居していた。
・田中久尾:大阪出身の妾で、深川福住町の自宅で同居
・鈴木かめ:元吉原仲の町林家の芸妓で、日本橋浜町の別宅に囲っています。
大内くに、田中久尾は正妻と一緒に住んでいたんですよね。
いや現代の感覚では理解に苦しみますね。
わかっているだけで3人なので、実際にはもっと多くの妾さんがいたことでしょう。
最後の子供は68歳
最後の子供は68才のときで、そのときに生まれた名言が以下です。
若気の至りでした
68歳のときに最後の子供がうまれたとき、「若気の至りでした」という名言を残しました。
このときの68才は現在に換算すると90才近くでしたが、
この名言「若気の至りでした」を残しました。
歴史に名を残す人は違うなあと思いましたね。
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