2024年7月26日パリオリンピックが開会式が行われましたね。
マリー・アントワネットの処刑されたコンコルド広場(革命広場)で、
マリー・アントワネットの処刑のパロディにしたパフォーマンスは圧巻でしたね。
今回は、【小学生にもわかりやすく簡単に】マリー・アントワネットの処刑理由まとめます。
2024年パリオリンピック開会式
This part of #OpeningCeremony with French band Gojira was badass 🤘pic.twitter.com/v6dWDorPM0
— Wu Tang is for the Children (@WUTangKids) July 26, 2024
開会式に対するXの反応
#パリ2024 パリ五輪の開会式でピアノが炎上🔥している pic.twitter.com/SO92Jocwgi
— 亀太郎 (@Kametarota) July 26, 2024
こんなにも穏やかな歌声なのに、激しく燃えさかるピアノのIMAGINE。理想と現実の乖離を見ているような。なんか泣けた。#パリ2024 #パリ五輪 #パリオリピック #開会式
— おのちん (@kato_pe) July 26, 2024
2024年7月27日土曜日午前5時04分 愛知県岡崎市
おはようございます。
今朝の岡崎は雲はありますが晴れていて、気温は26度前後です。
日中は晴れたり曇ったりで、気温は37度まで上がる予報です。
パリ五輪の開会式で、イマジンが歌われていました。
世界に平和を。 pic.twitter.com/Smma95SwWX— Reiwa_Okatetsu (@ROkatetsu) July 26, 2024
マリー・アントワネットって何者?をわかりやすく簡単に
一言でいうと、マリー・アントワネットはフランス最後のお姫様です。
フランス最後のお姫様が処刑された場所で、それをパロディにしたパフォーマンスが自国の五輪開会式で行われました。
日本人からすると結構クレイジーですよね。
マリー・アントワネットは1755年11月2日にウィーン(現在のオーストリア)で生まれました。
マリーアントワネットがウイーンから来た理由
ではどうして、マリーはウイーンから来たのでしょうか?
当時のフランスとオーストリアはプロイセン(現在のドイツ)から脅威をうけていました。
そこで、マリーをフランス王家に嫁がせることによって、フランスとオーストリアは同盟を強化しようとしました。
つまり、策略結婚のために、フランスに来たわけです
しかし、プロイセンとの戦争(7年戦争)で、フランスは敗北します。
そのことがきっかけで、反オーストリア感情がマリーに向けられます。
【小学生にもわかりやすく簡単に】マリー・アントワネットの処刑理由まとめ!
ここからは、マリーが処刑された理由について、フォーカスします。
フランス革命
マリーはフランス革命の中で、処刑されました。
フランスの市民は、マリーはじめ、王家の無駄遣いにより財政が悪化していると考えました。
パンがなければお菓子を食べればいいのに??
そこで、王家を倒そうとしたのが、フランス革命のはじまりです。
ヴァレンヌ事件
革命が激しさを増す中、マリーとその夫、ルイ16世は、国外に逃亡しようとします。
ルイ16世はもともと「王たるものは国民から逃げ出すものではない」と言っていました。
逃げたんですけど、、、
この逃亡劇が失敗したことで、王室の信頼は地に落ちました。
マリー・アントワネット処刑
1793年10月16日午前4時マリーは裁判によって死刑判決を受けました。
そのわずか数時間後である12時15分に刑が執行されました。
すごく早いですよね。フランス市民の怒りがみてとれますね。
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